ここに偶然手に入れた二枚の戦前の絵葉書があります。
タイトルは「熊野神社拝殿(神奈川)」と「熊野神社正面(神奈川)」
この「熊野神社」は現存するのだろうか?
するとすればどこか?探してみることにしました。
この作業、意外に難しかったので、推論のプロセスを簡単にトレースしてみます。
●第一段階
この二枚の絵葉書は表面から戦前の発行であることが判りました。(ここでは画像は省略します)
ではこの「神奈川」は神奈川県を示しているのか?それとも横浜市内の神奈川を示しているのか?
この絵葉書の神奈川は横浜の<神奈川>と考えるのが妥当だと思います。一般的に県下全般の表示は特別な施設に限られていて 多くは地域の地名が入っているからです。
●第二段階
戦前の神奈川は現在の神奈川区に含まれほぼ一致します。そこで神奈川区に熊野神社が幾つあるのか?ネットで探すと熊野関係は三社が見つかりました。
○<東神奈川熊野神社> 神奈川区東神奈川1-1-3
○<熊野社> 神奈川区菅田町2712
○<須賀社> 神奈川区菅田町熊野台2669(地名が熊野台なので関連を考えました)
近隣の鶴見区にも3社ありましたが地理的にも離れているので除外しました。
▲熊野神社 横浜市鶴見区市場東中町9-21
▲熊野神社 横浜市鶴見区寺谷1-21-7
▲熊野神社 横浜市鶴見区北寺尾2-3-30
神社には社格というランクがあるのですが、絵葉書になる位ですから、地域を代表する神社だろうと推定できそうなので、神奈川で一番の神社を探したところ「東神奈川熊野神社」にほぼ間違いないことが判りました。
この「東神奈川熊野神社」以前訪れたことのある神社です。京急仲木戸駅からほど近い住宅街の中にあります。
ところが、絵葉書と現在の社殿、鳥居の姿・軸が異なります。
これではここだ!と確定することができません。では「東神奈川熊野神社」の歴史を追ってみました。
■寛治元年に神奈川郷の鎮守として権現山(幸ヶ谷山上)に勧請
■応永五年正月山賊等のため祠宇焼失
■明応三年再建
■永正七年、権現山合戦で火災などですべてなくなる。
■正徳二年(1712)現地に遷座
■慶応四年正月大火で類焼、その後、社殿、神楽殿、神輿庫等を整備
<絵葉書の発行された時期はこの間あたりと推定できます>
■昭和二十年五月二十九日戦災(横浜大空襲)により焼失
■昭和三十八年八月現社殿を再建
■昭和三十九年に竣工奉祝祭。鳥居、玉垣、氏子会館(四十九年)、戦没者慰霊碑(四十一年)を建設
という記録がありますので、戦災で失った後の再建で社殿の様式が変わった可能性が判ります。この記録を解釈する限り<狛犬>は再建されていないようですので、絵葉書と現在の神社から痕跡を探す必要がでてきました。実際 現地に行ってみることにしました。
結果は実に簡単に判明しました。神社の方に写真を見せたところ、
「焼ける前のものですね」という答えをいただき、この絵葉書が「東神奈川熊野神社」であることが確定しました。なぜ建築様式が変わったのか?についてはご存知無く、今後の課題となりました。
「当時の狛犬が残っています」
合致しました。阿吽の内 本殿に向かって左側の「阿」は嘉永年間 「吽」は平成に入って修復されたものです。幕末期の記憶が残されていました。この「神奈川熊野神社」起源は近くの「権現山」です。次回は権現山から梅干しの道を探ってみます。