【今日の横浜2015】1月20日県立第三横浜中学校

1923年(大正12年)の今日
県立第三横浜中学校が中区本牧緑ヶ丘に創立されました。現在の神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校の創設記念日にあたります。
この県立第三横浜中学校の歴史は、横浜が遭遇した悲劇と同じ<三重苦>を乗り越えてきた学校です。
<関東大震災>
1923年(大正12年)開校直後に関東大震災に見舞われます。
<横浜大空襲>
1945年(昭和20年)横浜大空襲で校舎のすべてが焼失します。
<接収>
戦後は、立地が良かったことから駐留軍によって校地が接収されるなど
横浜の三重苦を経験しました。
校名を「県立緑が丘高校」に変更したのは1950年(昭和25年)の学校制度改革ですべての旧制中等学校が廃止となり新制高等学校(男女共学)となります。

創立以来の精神は初代校長が掲げた『三徳一誠』です。
知;正しい判断力を持て
仁;人のために尽くせ
勇;人間らしくあれ

ちなみに市内の旧制中学は
県立第一横浜中学校は神奈川県立横浜一高を経て神奈川県立希望ヶ丘高等学校に
県立第二横浜中学校は神奈川県立横浜二高を経て神奈川県立横浜翠嵐高等学校に
県立鶴見高等学校も旧制中学の系譜です。
一方 高等女学校は
神奈川県立横浜第一女子高が神奈川県立横浜平沼高等学校へ
神奈川県立横浜第二女子高が神奈川県立横浜立野高等学校へとつながります。

横浜市立では
程谷町立実科高女が市立実科高女→市立第一高女を経て市立桜丘高等学校に。
戸塚町立実科高女が市立戸塚実科高女⇒市立戸塚高女⇒市立戸塚高等学校
横浜らしいといえば
横浜商法学校→市立商→市立横浜商業高等学校(Y高)です。

No.20 1月20日 鶴見線「73型電車サヨナラ運転」
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=603

1971年(昭和46年)の今日
『市民生活白書 昭和46年 横浜と私』が発行されました。
No.100 4月9日 市民生活の実像は描ききれたのか
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=517