閉じる

第846話 1914年(大正3年)7月12日「新避暑地十二勝磯子海岸」

1914年(大正3年)7月12日
横浜貿易新報社選(神奈川県内の)「新避暑地十二勝」が発表されました。
この内容に関しては以前、下記のブログで紹介しました。
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=7816

今日7月12日、違うテーマを予定していましたが
第12位 末席に選ばれた「磯子海岸」に関しては紹介してなかったので簡単ですが紹介しておきます。

磯子エリア(磯子海岸)は、堀割川が完成するまでは不便な陸路の他は本牧沖経由の海運しかありませんでした。明治期から大正期には、河川水路の他 市電(全身の横浜電気鉄道)が開通することで横浜(開港場)とのつながりが深くなっていきます。
横浜市域の海岸線が工業化に伴い埋立事業が行われる中、磯子海岸(根岸湾)と、隣接する富岡海岸は戦後まで大型埋め立て事業が行われませんでした。6横浜の埋立堀割川河口にパラオ行きの飛行場が開設されたり杉田・富岡エリアに軍関係の工場が進出しましたが、大幅に海岸線が埋立られることはありませんでした。
戦前から風光明媚なこのエリアは、湘南電気鉄道や市電の開通で<海水浴場>」として人気スポットとなっていきます。light_市電案内磯子海水浴

戦後、高度成長に伴い、磯子海岸が工場用地として注目されます。lightスクリーンショット 2016-07-11 11.49.55light磯子5
下記に磯子海岸関係の歴史を簡単に列記してみました。
1928年8月4日(昭和3年)
磯子町・滝頭町地先埋立第一次工事完成
1929年1月17日(昭和4年)
森・磯子町地先埋立完成
1929年7月1日(昭和4年)
市営磯子水泳場(海水浴場)を公開
1930年4月1日(昭和5年)
湘南電気鉄道(現京浜急行電鉄)、黄金町〜浦賀、金沢八景〜逗子間開通、森駅(現屏風浦駅)開業
1930年7月1日(昭和5年)
湘南電鉄杉田駅開業
1931年12月26日(昭和6年)
湘南電鉄と京浜電鉄が日ノ出町駅で結ばれ、横浜〜浦賀間の直通運転を開始
1933年4月1日(昭和8年)
京浜電鉄の軌道拡張により品川〜浦賀間の直通運転を開始
1941年2月1日(昭和16年)
軍が杉田町地先5万坪を埋立。また、中根岸町を埋立、飛行場を開場する
1941年11月22日(昭和16年)
大日本航空会社磯子支社新館が鳳町に落成
1950年12月14日(昭和25年)
重油禍で屏風ケ浦、富岡、金沢の海苔全滅
1955年4月1日(昭和30年)
市電、八幡橋〜間門間開通
1956年8月3日(昭和31年)
杉田貝塚の発掘開始
1956年10月9日(昭和31年)
屏風ヶ浦漁協及び同海岸埋立反対期成同盟、「磯子海岸埋立反対決議」を市に手渡す
1956年10月17日(昭和31年)
国鉄根岸線建設並びに磯子・杉田地先埋立に地元漁協が反対、国鉄に陳情
1956年11月29日(昭和31年)
根岸湾埋立反対漁民総決起大会開催される
1956年12月25日(昭和31年)
市会、根岸湾埋立を決定
1957年4月3日(昭和32年)
国鉄根岸線建設事業を国鉄建設審議会が決定
1958年10月14日(昭和33年)
根岸の米軍飛行場が接収解除
1958年12月11日(昭和33年)
根岸湾埋立補償覚書調印
1959年1月25日(昭和34年)
根岸湾埋立で漁業補償協定に調印し根岸湾埋立問題協議会を解散
1959年2月21日(昭和34年)
根岸中学校で根岸湾埋立事業の起工式を挙行
1959年5月23日(昭和34年)
根岸線建設工事に着工
1960年2月15日(昭和35年)
鳳町の接収解除
1960年6月30日(昭和35年)
中根岸町の接収全面解除
1961年1月28日(昭和36年)
磯子団地(汐見台団地)の起工式を挙行
1962年10月10日(昭和37年)
市会、磯子団地の新町名を「汐見台」と決定
1963年2月1日(昭和38年)
磯子町、森町の地先埋立地に新磯子町、新森町を新設
1963年5月25日(昭和38年)
汐見台団地入居開始
昭和38年6月(昭和38年)
屏風ヶ浦漁協が根岸湾埋立記念碑を白旗に建立
1963年12月24日(昭和38年)
根岸湾第1期埋立事業竣工
1964年3月24日(昭和39年)
杉田町、中原町地先埋立地に新杉田町、新中原町を新設
1964年5月19日(昭和39年)
磯子駅前広場で根岸線第1期工区(桜木町〜磯子間)の開通式を挙行
1964年11月18日(昭和39年)
区住民運動連絡会議が東京電力の火力発電所建設に反対の決議
1964年11月27日(昭和39年)
屏風ヶ浦漁協の解散式挙行
1964年12月15日(昭和39年)
根岸湾第2期埋立事業竣工
昭和40年2月(昭和40年)
根岸湾漁協が根岸湾埋立記念碑を根岸駅前に建立
1966年7月19日(昭和41年)
南部下水処理場が竣工(昭17.4.1から「南部水再生センター」に名称変更)
1966年8月9日(昭和41年)
根岸線第2期工事(磯子〜大船間)の許可
1967年6月23日(昭和42年)
科学技術庁が根岸湾埋立予定地に原子力船母港建設の方針を横浜市に申し入れ
1967年7月31日(昭和42年)
市電、葦名橋〜杉田間廃止
1967年9月5日(昭和42年)
政府は原子力船母港の建設で横浜市を断念し、むつ市に決定
1968年8月31日(昭和43年)
市電、八幡橋〜間門間廃止
1970年3月17日(昭和45年)
根岸線磯子〜洋光台間が営業を開始
1970年8月28日(昭和45年)
大岡川分水路建設工事起工式挙行