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暦で語る今日の横浜【9月6日】その1

今日は紹介するネタがかなりヘビーなものが多く
一つ一つさらに展開できそうです。
チャンスがあれば 挑戦してみます。
●1890年(明治23年)の今日
明治政府は、勅令をもって税関の管轄区域を定めます。
横浜税関の管轄エリアは、(明治4年7月14日の廃藩置県によりますと)
陸前:仙台県、登米県(とめけん)=宮城県北東部
磐城: 角田県、中村県、磐城平県、湯長谷県、泉県、三春県、棚倉県、白河県
下総:多古県、小見川県、高岡県、結城県、古河県、関宿県、佐倉県、生実県、葛飾県、曾我野県
上総:菊間県、鶴牧県、鶴舞県、桜井県、久留里県、飯野県、小久保県、佐貫県、松尾県、一宮県、大多喜県、宮谷県
安房:長尾県、花房県、館山県、加知山県
武蔵:川越県、忍県、岩槻県、浦和県、小菅県、東京府、品川県、神奈川県、六浦県
相模: 小田原県(足柄県)、荻野山中県
伊豆:韮山県
駿河: 静岡県
遠江:堀江県
の11カ国
及び小笠原島の沿岸となりました。
どえらい広範囲が管轄エリアだったことが判ります。
※税関の業務と権限は 恐らく現在より数段広く強いものだったに違いありません。その中核となったのが
「横浜税関」です。
このリストで、廃藩置県当時の「県」を通してもドラマが見えてきます。
横浜の所属した「武藏国神奈川県」は
三多摩地区が入っていたんです。

赤エリアが最初の神奈川、青線が現在の神奈川

逆に県央は荻野山中県、県西は足柄県でした。

●1923年(大正12年)の今日
関東大震災で壊滅した十全病院が隣接する平沼邸を仮病舎として借り受け
一般診療を開始しました。震災から六日目でした。
No.432 老松を追い本町に迫る!

No.245 9月1日(土)災害は忘れなくとも起きる

(小史)
1871年(明治4年)4月20日
横浜元弁天(現・中区北仲通6)に早矢仕有的などにより民間人のための「横浜仮病院」が開設されました。
デュアン・B・シモンズ(Duane.B.Simmons)が週1回の割合で勤務し英米式医療が行われました。

No.162 6月10日(日)日本よさようならである。
長崎に次ぐ日本で2番目の洋式病院でしたが、
同年9月に近隣の失火により類焼し廃止されてしまいます。

1872年(明治5年)7月
中区太田町に神奈川県令大江卓や早矢仕有的などにより「横濱中病院」として再建されました。 シモンズの伝染病予防の必要性を訴えた建議を神奈川権令大江卓が採用します。
1873年(明治6年)12月
西区老松町の野毛山修文館跡に移転し「横浜共立病院」となりました。
1874年(明治7年)2月
「横浜共立病院」を県立とし「神奈川県立十全医院」と改称。
東洋一の設備を誇ります。
当時最も重大な疫学の最先端病院として種痘業務、コレラ対策で中心的役割を担います。 
1889年(明治22年)4月
初代院長として正式に広瀬佐太郎が就任し、ドイツ式医学に改められました。 
1891年(明治24年)4月
神奈川県から横浜市に移管され、「横浜市十全医院」と改称されました。 
1905年(明治38年)4月万治病院の前身である横浜避病院は十全病院から独立します。
1923年(大正12年)9月1日
関東大震災で壊滅したものの、隣接していた平沼氏邸を借り、
9月6日、仮病院を開設しました。 
1924年(大正13年)6月
南吉田町(現・南区浦舟町4=現在地)に応急病院を開設します。
1926年(大正15年)11月に「横浜十全医院」が再建されます。 
1944年(昭和19年)
「横浜市立医学専門学校」(横浜市立大学医学部の前身)が開校し、
「横浜市立医学専門学校付属十全病院」となりました。 
1949年(昭和24年)4月
「横浜医科大学付属病院」と改称します。
1954年(昭和29年)4月
「横浜市立大学付属病院」と改称され現在に至ります。

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