第913話【時代判断の決め手】
昔の風景写真に出会ったとき、いつごろの時代なのか気になります。 展示会や、資料には推定年代が示されていることも多いので史料として役立ちます。 一方で、年代の分からない風景に出会うと、これまた別の意味で興味が湧いてきます。… 続きを読む »
昔の風景写真に出会ったとき、いつごろの時代なのか気になります。 展示会や、資料には推定年代が示されていることも多いので史料として役立ちます。 一方で、年代の分からない風景に出会うと、これまた別の意味で興味が湧いてきます。… 続きを読む »
横浜側:長尾台、田谷 鎌倉側:玉縄、岡本 今年の春、市境踏破を目指しました。ほぼ全市境あたりを歩きましたので、第二ステップでは、市境をもう少し探ってみることにしました。 (長尾台) 大船駅西口から柏尾川に沿って上流に向か… 続きを読む »
近年、横浜の近世以前が丁寧に解説されるようになってきました。確かに開港一辺倒の横浜史が多い時期もありました。 今年は吉田新田完成350年ということもあり、近世=江戸時代に少し光が当たっています。 さらに時代を遡って中世の… 続きを読む »
「関東のお伊勢さま」と呼ばれている伊勢山皇大神宮は、開港後の急激な近代化する横浜港の鎮守様として野毛山に1870年(明治3年)創建されました。 【伊勢山皇大神宮】 所在地:横浜市西区宮崎町64 宮司は池田正宏… 続きを読む »
素人調べレベルと予め宣言しておきます。 大岡川河口域に広がっていた<内海>は絵図を見ると新田開発が始まるまでは、漁場だったようです。<横浜の砂州>が冬場の北波を防ぐ防波堤の役割をしていたから中々の漁場だったのではないでし… 続きを読む »
大岡川に関心を持った中で 江戸期の百姓の姿を知りたいと考えました。 そこで この夏の集中テーマを江戸の「百姓」に置き 学習計画を立てました。 大岡川下流域、横浜村エリアに暮らした百姓の姿を推理するには何が必要か? と考え… 続きを読む »
ここに「横濱村辺之図」という江戸末期に描かれた絵図があります。 横浜の歴史を大きく変えた米国ペリー艦隊が横浜沖に集結している様子を描いたものです。 さて? この絵図の描いた時期はいつごろか?最初にペリーが江戸湾に現れたの… 続きを読む »
今日は掃部山の話です。 掃部山は(かもんやま)と読みます。初めて出会う方には難読地名の一つです。 まず読めません。どう読んでもそうぶやまですよね。 ここは明治期に鉄道省の土地で、後に民間の管理を経て市の公園となりました。… 続きを読む »
この写真は約7割が空となっています。 カメラマンは何故? 敢えてこの広い空を構図の中に取り込もうとしたのでしょうか? 撮影場所は野毛山中腹(現在の西区東ケ丘あたり)かプール(今無い)あたりか? <風景を読む> 手前に京浜… 続きを読む »
大正から昭和へ 1900年代初頭、近代化のうねりの中で横浜は開港場を軸に、変化の真っ只中でした。 ここで第二次市域拡張を終えたダブルリバーの20世紀初頭を追ってみます。 1901年(明治34年)から20世紀となります。 … 続きを読む »