年も押し迫って参りました。
2012年も残すところ5日となりました。2013年は異なる切り口でいくと宣言しておきながら、なんとかなるだろうと準備していません。
2013年はかなりドキドキハラハラの毎日でした。
2014年は少しじっくり系でいきたいところです。
さて、1909年(明治42年)12月27日の今日は横浜市(彼我)公園のクリケットグランドの撤去が決定し全管理権が横浜市に移管した日です。
名称も正式に現在まで使用されている「横浜公園」と改称されました。
※市民解放は翌日の12月28日に行われました。
読みにくいのですが、この日の事を記した碑です |
現在横浜には、市の管理する公園が2,600ありますが、その殆どが昭和後期に整備されたものです。戦前、横浜市の公園は19しかありませんでした。
明治期には二つ。
1876年(明治9年)開園した「彼我公園(横浜公園)」と、1900年(明治33年)に公開された「山手公園」です。山手公園は1870年(明治3年)6月4日に居留民によって作られましたが、当初は外国人専用でした。「彼我公園(横浜公園)」は日本最初の近代公園と言われています。(日比谷公園と争っていますが)
No.120 4月29日 庭球が似合う街
大正期にも公園は二つしか整備されませんでした。
井伊家によって寄付された「掃部山公園(かもんやまこうえん)」と震災復興で整備された「野毛山公園」です。
掃部山 |
日本の明治以降の近代公園の多くが「城趾」「武家屋敷の跡地」「寺の敷地」等を利用して整備されましたが、横浜にはまとまった土地が少なかったこともあり公園整備が遅れます。
ある外国人と横浜市の幹部の会話(ジョーク)に
「横浜には市が整備している公園が足りないのでは?」
「いえ、横浜には三渓園という民間の公園が整備されていますから」
と言われるくらい公園が少ない街でした。
(横浜に始まる近代公園)
開港時に欧米人が驚いた日本の技術力が幾つかありますが、中でも「造園」技術は世界的レベルと評価されました。この技術を遺憾なく発揮したのが「彼我公園」(横浜公園)です。
日本には江戸時代から町民文化として安定した園芸趣味があり、武士は勿論町民レベルまで秀逸な庭園が整備され産業が根付いていたからです。
欧米との決定的な違いは、パブリック(パーク)ではなくプライベート(ガーデン)として「造園技術」が成熟して来たという点です。
といっても、欧米でも公園は19世紀に始まった文化ですから日本とさほど差があったわけではありません。
昭和初期の横浜公園 |
彼我公園=横浜公園の整備は、日本造園界にとって記念すべき腕の見せ所だったと言えるでしょう。
1864年12月19日(元治元年11月21日)に取り交わされた「横浜居留地覚書」を元に、豚屋火事→「慶応の大火」(1866年11月26日)で焼失した港崎遊郭を整備し公園にしろというものでした。
「外国並みに日本彼我にて用ふべき公けの遊園」(レクリエーション施設)の要求が彼我公園誕生の起源となります。
この彼我公園は居留地外国人のリクエストで造ることになった訳ですが、国によってリクエストの内容にカルチャーギャップが出てきました。
日本政府(神奈川県)は
「元来外国人遊覧之為取設候事故此方於而者造営模様不案内」
として設計は外国人にまかせることにします。
そこで設計は横浜のインフラ計画を担った英国人技術者のブラントンが行い、日本が作ることになります。
設計案 |
設計案 |
先に完成した「山手公園」は、居留民の資金と奉仕団で整備されていますから、日本の職人技術がこの「彼我公園」で初めて発揮されることになります。
案の定、彼我の(彼ら)の意見はまとまりません。特に英米が対立します。イギリスはクリケット場を導入しようとしますが、アメリカはクリケットは彼らの都合だといって(政治的に)反対します。
結局、条件付きでクリケット場は造られることになりますが当初の設計図から大きく変わったようです。
直線的デザインから日本庭園を活かした庭園デザインが随所に取り入れられます。(予算の関係だった?)しっかり運動場(クリケットのできるグラウンド)も組み込まれます。
1868年から現在まで続く名門スポーツクラブ(YCC→YC&AC)はこの横浜公園クリケット場がホームグラウンドでした。
YC&ACロゴ |
http://www.ycac.or.jp
日本側は、予算をできるだけ減らしたいので作りやすい構造を依頼します。当時の図面のやり取りから、造成当事者の神奈川県と予算管理の大蔵省、設計者ブラントンの苦労が透けて見えます。
明治25年ごろ |
今も昔も変わりませんね。
(関連ブログ)
No.78 3月18日 横浜公園に野球場完成
No.286 10月12日(金)初の空中PR横浜で
No.95 4月4日 横浜DeNAベイスターズの本拠地「ハマスタ」開幕
No.332 11月27日(火)おやかた、濱で一振り。
(余談)
横浜球場の横にある「噴水」ですが、高さ2.8m
現在三代目で昭和初期に完成、80年の歴史があります。
因みに二代目は1909年(明治42年)横浜市に管理権が移った最初の整備で造られました。
(余談2)
街歩きに公園探索は欠かせません。
公園には街の表情があり、歴史があります。
元々どのような場所だったのか?
造られる経緯、レイアウトにまで思いを馳せるのも楽しいものです。
現在「歴史公園」という分類があり、全国に250あります。定義が今ひとつ判りませんが街歩きの参考になります。
横浜市には5カ所歴史公園が選定されています。
1横浜公園
2山手一帯(元町公園、港の見える丘公園、山手イタリア山庭園、山手公園)
3根岸森林公園
4山下公園
5大塚歳勝土公園
http://ja.wikipedia.org/wiki/歴史公園
(余談3)
横浜市内で広い公園ランキングは?
第一位
金沢自然公園
577,593平米(昭和57年3月17日開園)
第二位
横浜動物の森公園(ズーラシア)
541,132平米(平成14年7月25日開園)
第三位
新横浜公園(日産スタジアム一帯)
501,667平米(平成10年3月1日開園)
第四位
海の公園
470,155平米(昭和63年7月2日開園)
第五位
こども自然公園
464,118平米(昭和47年6月5日開園)
■因みに一番小さな公園は?
鶴ケ峰まちかど広場
鶴ケ峰二丁目21−12
65平米(平成7年3月24日開園)