【横浜の橋】№5 移民橋
「移民橋」という名の橋はない。 移民の街だった「横浜」だからこそ“移民”の橋があった。 四方を海に囲まれた日本に暮らす我々にとって、国境は海にある。 「海外」という熟語がふさわしい。 国交を限定してきた江戸時代から明治に…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
「移民橋」という名の橋はない。 移民の街だった「横浜」だからこそ“移民”の橋があった。 四方を海に囲まれた日本に暮らす我々にとって、国境は海にある。 「海外」という熟語がふさわしい。 国交を限定してきた江戸時代から明治に…
横浜の橋といえば「吉田橋」を採り上げない訳にはいかない。横浜開港場が誕生した時に架けられて以来、この町の成長を見守ってきた横浜の代名詞といっても過言ではない。今回から数回に分けて「吉田橋」を紹介する。 まずは簡単に「吉田…
1954年(昭和29年)6月30日 「西区高島通り1丁目5番地にある横浜ホテルを東急が買収(東京急行50年史)」 (東西戦争) 戦後、 神奈川県下で五島慶太・昇 率いる「東急」と堤義明・清二率いる「西武」の熾烈な開発競争…
1914年(大正3年)の今日 横浜貿易新報社選(神奈川県内の)「新避暑地十二勝」が発表されました。 横浜貿易新報社は神奈川新聞社の前身で、1890年に創刊された老舗新聞社です。横浜貿易新報社は、新聞紙上で読者の投票によっ…
1980年(昭和55年)6月13日〜15日の三日間 「横浜港開港120周年・横浜商工会議所創立100周年記念」イベントにC58が走りました。その頃はまだ横濱に暮らしていなかったので写真も当時の雰囲気もわかりませんがネット…
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 1931年(昭和6年)5月・6月 五月 29日 ’Sturdy’号にて Edward Miles Lone sai…
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 1931年(昭和6年)5月 東横電鐵直営 日吉台苺園開園中(二十五日前後が最盛) 二十一日 『郵船』龍田丸入港出航(午後三時四号岸壁発 桑…
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。1931年(昭和6年)5月 十四・五・六日 伊勢山皇大神宮大祭(電車 紅葉坂・野毛坂又は戸部一丁目下車 バス紅葉坂下車) 十五日 『郵船』浅…
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。1931年(昭和6年)5月 九日 横濱高工對日大野球戦(午後二時半横浜公園球場にて) 九日 春季體育大会(電車及バス市役所前下車) =午后六…
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 二、三日 攝政杯争奪京濱両中等学校対抗 野球戦 =二日は午後一時より、三日は午前十時より試合開始= =両日共横浜公園球場にて 電車花園橋下…