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横浜年表ピックアップ【10月1日】

横浜の出来事を年表からピックアップしました。

【10月1日】は、興味ある事項が多くなってしまいました。
一つ一つじっくり探ってみたいテーマばかりです。
とりあえず ピックアップしています。掘り下げテーマは、
別テーマで取上げていきます。

●1873年(明治6年)の今日
東京・長崎間 電信事業が開業しました。
日本の電信電話事業は、
1870年1月26日(明治2年12月25日)に東京〜横浜間で公衆電報の取り扱いが開始されたことに始まります。
No.26 1月26日 横浜東京間電信通信ビジネス開始

その後、電信網が整備され、
1890年(明治23年)には東京市と横浜市間の電話交換サービスが開始されます。

●1875年(明治8年)の今日
暴風のため(おそらく台風)
幕府時代から掲げてきた県庁の国旗の竿が折れてしまいます。
「神奈川県史料(2)1」
国旗である「日の丸」は最初、幕府が使用していた旗です。咸臨丸も観光丸も日の丸を掲げていました。それが明治以降もなぜ?使われたのか。
(調べていません)知りたいところです。

●1879年(明治12年)の今日
「山手221番の旧聖経女学校の構内に横浜市学校(メソジスト神学校)が開校した。
またメソジスト天安堂の構内に美会神学校が創設された(青山学院の前身)
校長、ヴェイル、神学生8人、英語を学ぶ普通科10名
※ミルトン・S・ヴェイル (Milton S. Vail)
「1879年10月1日、美会神学校が開設されました。その初代校長に選ばれたのがヴェイルです。米国ニューハンプシャー州の出身で、彼の父は米国に最初にメソジスト派神学校を開いた人でした。この父の下で神学を志し、ドイツに学び、やがてオハイオ大学の予科部長に選ばれましたが、その二年後の1879年9月には美会神学校の校長として横浜に到着。そのとき彼はまだ26歳という若さでした。
天分豊かなヴェイルは、希語、蘭語、独語のほかに教会史、教理史などを教え、学生を愛し、その一人一人のために毎朝祈りを捧げた人でした。その姿は長く卒業生の胸のうちに生き続けたと伝えられています。」(青山学院HPより)
http://www.aoyamagakuin.jp/index.html

●1880年(明治13年)の今日
新橋・横浜間、汽車の運転時間を変更します。
午前8時〜午後9時半まで 
意外に夜遅くまで営業していたんですね。

●1881年(明治14年)の今日
日本と英国の郵便為替交換を開始します。
郵便は
1873年(明治5年)に日米郵便交換条約が結ばれ
日本は横浜郵便局、
米国はサンフランシスコ郵便局を郵便物の交換拠点とすること等を規定したのが国際郵便の始まりです。
翌年の
1874年(明治6年)に国際郵便に関する条約が成立します。
1877年(明治9年)日本も万国郵便連合(UPU)に加盟します。
一方、
明治初期に書簡ではなく「現金以外の金銭決算」の国際ルールは、
この1881年(明治14年)日本と英国の郵便為替交換を契機に外国との為替交換が行われますが、国内法は未整備でした。
1883年(明治15年)12月11日太政官布告第57号によりようやく為替手形約束手形条例が整備されます。

●1885年(明治18年)の今日
1872年に横浜で日本初のガス事業が源流となり
1885年(明治18年)東京府から東京府瓦斯局の払い下げを受け渋沢栄一、浅野総一郎らによって、東京瓦斯会社として創立されます。
この年は
日本郵船会社が東京で開業し、赤い二引きのファンネル 正式に旗章として掲げます。

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No.116 4月25日 紺地煙突に二引のファンネルマーク

1886年(明治19年)の今日
日本郵船会社の本社を横浜尾上町6丁目に移転します。
→1887年(明治20年)に再度東京に移転します。

●1887年(明治20年)の今日
「アメリカ人ブラウン女史が山手に家塾を開いた横浜英和女学校といい今の捜真女学校の前身である」
→1886年(明治19年)データもあり調べてみたところ
 両方とも正しいようです。
「捜真の歴史は、1886(明治19)年、横浜の外国人居留地山手67番にあった聖書印刷所の2階で始まりました。プロテスタントのバプテスト派宣教師でアメリカ人のシャーロッテ・ブラウンが7名の少女の教育にあたり、翌年10月1日英和女学校の看板を掲げました。」
http://www.soshin.ac.jp/jyogakko/

●1887年(明治20年)の今日
武藤金吉捕まる。
港座で開催された櫻鳴政談演説會が集会条例違反で主催者武藤金吉が告訴され11月4日に罰金を課す。
※武藤金吉は熱血政治家「むときん」と呼ばれました。
英吉利(イギリス)法律学校(現在の中央大)に学び、「実業新聞」「上野(こうずけ)新聞」を主宰するジャーナリストとして活躍すると同時に、群馬県農工銀行取締役、山保毛織社長など実業家としても活躍します。
蚕糸業の改善につくし、横浜とも関係の深い人物です。
(少々重いです)
http://www.tasyo.com/senjin2005/3636-1.swf

●1890年(明治23年)の今日
横浜共同電灯会社が常盤町で営業をはじめた(点灯数300)

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No.365 12月30日(日)横浜初の発電所

●1892年(明治25年)の今日
横浜郵便電信局外6局がベルギーと郵便為替事務を始めました。

●1900年(明治33年)の今日
東京・横浜間で自動電話が開始されました。

当時の電話ボックス風(元町)

●1913年(大正2年)の今日
横浜勧業共進会が開会しました。(〜11月19日)
会場は現在の蒔田エリアで、現在も共進町という「町名」を始め若干痕跡が残っています。
http://www.minamiyoshida.jp/modules/pico/index.php/content0009.html

●1913年(大正2年)の今日
「国宝三重塔が三渓園の山上に。」と横浜歴史年表に表記されていましたが、
http://www.sankeien.or.jp/kokenchiku/toumyouji_sanju.html
三渓園HPでは1914年(大正3年)に移築とあります。
「この塔は俗に加茂の塔といい、大和の岡田加茂の灯明寺にあつたものを移築しました。原富太郎が横浜にうつしたもので、当時箱根以北の天平建築はこの搭のみといわれました。」(高さ8尺5寸、問口16尺5寸、屋根巾34尺)

※旧燈明寺三重塔【重要文化財】1457年(康正3年)建築
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/n_16_tomyoji.htm

●1923年(大正12年)の今日
関東大震災による横浜市の損害は約20億円と発表されました。
当時の日銀発行券総額17億円です。

●1927年(昭和2年)の今日
区制施行で鶴見区・神奈川区・中区・保土ケ谷区・磯子区が誕生します。
各区役所に庶務、税務、戸籍、会計の4課を設置し、徴税、兵事、学事等を置きます。

No.311 11月6日(火)18区誕生

●1930年(昭和5年)の今日

国勢調査を実施し横浜市の人口は620,396名(135,929世帯)
→1935年(昭和10年)調査では
 人口704,290名(148,545世帯)
→1938年(昭和13年)調査では
 人口777,500人(163,380世帯)
→1941年(昭和16年)調査では
 人口999,400人(209,379世帯)
※戦争直前に人口が急増します。

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●1930年(昭和5年)の今日
市電連絡線浅間町線(洪福寺・浜松町間)が開通しました。
尾張屋橋を越える路線が完成

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●1930年(昭和5年)の今日
北林透馬の「街の国際娘」が「中央公論」に発表された。
北林 透馬(きたばやし とうま)
1904年(明治37年)12月10日〜1968年(昭和43年)11月13日は、
日本の小説家で本名は清水金作。愛称はハマの「トーマ」と呼ばれていました。
中区馬車道の「平安堂薬局」の次男として生まれ
戦前から昭和30年代初頭にかけて活躍した流行作家。
地元横浜を舞台にした作品を多数執筆し「ハマを代表するモダンボーイ」といわれました。
1930年(昭和5年)中央公論が企画した文芸アンデパンダン展において
「街の国際娘」が第一席に選ばれたことを機に、
新たなペンネーム「北林透馬」を名乗ります。

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●1931年(昭和6年)の今日

国鉄程ヶ谷駅が保土ヶ谷駅に改称された。
「程ヶ谷」から「保土ヶ谷」になったのが昭和、それまでは「程谷」「程ヶ谷」と使われていました。近年「保土ヶ谷区」は「保土ケ谷区」と決め表記しています。

●1933年(昭和8年)の今日
加藤発條製作所が東京市本所区菊川にて従業員5名で創業します。
この加藤発條製作所は、1936年(昭和11年)に神奈川県下唯一のばね専門メーカとして横浜市保土ヶ谷区岩井町に移転します。

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駅前の超優良メーカー

戦前、日本フォード社の純正部品を納入する金属メーカーとして成長。
1995年10月株式会社パイオラックスに社名変更
2004年9月東証2部から1部に指定替えする
ばねを主力とした超優良金属製品メーカーです。
http://www.piolax.co.jp

●1936年(昭和11年)の今日
第四次市域拡張が行われます。
久良岐郡金沢町・六浦荘村が磯子区、鎌倉郡永野村が中区に編入された
市面積168.02平方キロメートルとなります。

【番外編】市域拡大は元気なうちに!?

●1937年(昭和12年)の今日
去る5月4日に新設された名古屋税関の管轄が変更されました。
横浜税関の管轄区域で静岡、長野両県を名古屋へ移管し
清水税関支署、下田、見付両監視署も名古屋へ移管します。
1953年(昭和28年)まで日本の税関組織のトップは「横浜税関長」でした。

●1944年(昭和19年)の今日
市庁舎、木造建物で危険のため臨時に野毛山老松国民学校他へ移転。
市会議場は老松町横浜市図書館内に設置。
No.256 9月12日(火)どこも本庁舎引越は大問題

●1960年(昭和35年)の今日
氷川丸,最後の公開を終え横浜に帰港します。

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●1964年(昭和39年)の今日
横浜港国際ターミナル・ビル(横浜港大桟橋)が完成します。

●1964年(昭和39年)の今日
東海道新幹線「新横浜駅」が開業します。

●1969年(昭和44年)の今日
港南区・旭区・緑区・瀬谷区が新設され10区から14区になります。

No.311 11月6日(火)18区誕生

●1969年(昭和44年)の今日
本牧埋立地に神奈川臨海鉄道本牧線が完成し営業を開始する。
(国鉄根岸駅・本牧ふ頭間)

●1978年(昭和53年)の今日
さわやか運動が始まります。
No.147 5月26日 明るく豊かな国民生活の形成に寄与

●1979年(昭和54年)の今日
地域の強い反対がありましたが、横浜新貨物線が開通します。

●1984年(昭和59年)の今日
帆船日本丸記念財団が発足します。
http://www.nippon-maru.or.jp

●1987年(昭和62年)の今日
財団法人横浜市女性協会
http://www.women.city.yokohama.jp

財団法人横浜市美術振興財団が設立
http://fp.yafjp.org

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