No.708 【1月15日】神奈川県令の交代

1874年(明治7年)の今日
神奈川県令の交代がありました。
「マリアルス号」事件で英断を下した神奈川県(権令)「大江卓」が大蔵省五等出仕の任命を受け転任します。後継には横浜運上所在勤、租税権頭だった20代の若き「中島信行」が就任します。(〜1876年(明治9年)3月28日)
権令(ごんれい)とは県令に次ぐ県の地方長官のことです。
大江卓は、ペルー船籍の「マリアルス号」事件で、事態解決のため担当(県令)だった「陸奥宗光」の代わりに急遽神奈川権令となり日本の司法権を守ったことで有名な人物です。
大江卓の妻は後藤象二郎次女、小苗で、後藤象二郎が義父にあたります。
この大江卓は横浜に名を残しています。桜木町駅前から関内方向に走る16号線の「大江橋」です。現在は「大江橋」に隣接して「桜川橋」が架かっているため特に目立ちませんが、横浜が<運河の時代>だったころは初代横浜駅と関内を結ぶ重要な橋でした。

「マリア・ルス事件〜大江卓と奴隷解放」武田八洲満 著 (有隣堂、1981年5月)
No.257 9月13日(水)司法とアジアの独立

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(着任の中島信行)
1874年(明治7年)の今日、若き神奈川県令となった彼を簡単に紹介しておきましょう。
1846年10月5日(弘化3年8月15日)生まれ1899年(明治32年)3月26日に亡くなります。「日本の政治家。男爵。通称は作太郎。長男は中島久万吉。最初の妻は陸奥宗光の妹中島初穂(1877年死去)で、後妻は女性解放運動家の岸田俊子。(Wikipedia)」

この表現では、本人より長男と二人の妻にフォーカスがあたっているようですが、中島は1887年(明治20年)12月26日に公布された悪名高き治安法「保安条例」で<江戸所払い※>を命じられたバリバリの自由民権運動家でもありました。

※<江戸所払い>は冗談ですが、
皇居から3里(約11.8km)以外に退去させるという途方も無い法律。
保安条例
第四条 皇居又ハ行在所ヲ距ル三里以内ノ地ニ住居又ハ寄宿スル者ニシテ内乱ヲ陰謀シ又ハ教唆シ又ハ治安ヲ妨害スルノ虞アリト認ムルトキハ警視総監又ハ地方長官ハ内務大臣ノ認可ヲ経期日又ハ時間ヲ限リ退去ヲ命シ三年以内同一ノ距離内ニ出入寄宿又ハ住居ヲ禁スルコトヲ得

(公務員から政治家へ)
「外国官権判事や兵庫県判事を経て、ヨーロッパ留学をした後は神奈川県令や元老院議官をつとめた。自由民権運動が高まりを見せると、板垣退助らとともに自由党結成に参加して副総理とな(Wikipedia)」った中島信行は「保安条例」で1887年(明治20年)横浜へ<所払い>となります。
この<所払い>で以前県令となり知人の多かった横浜に移った中島は、地元横浜で政治活動を開始、1890年(明治23年)7月1日に行われた第1回衆議院議員総選挙で神奈川県第5区から立候補し当選します。
※第1回衆議院議員総選挙(投票率は93.91%)
神奈川小選挙区当選者
1区で島田三郎
2区で山田泰造
3区で石坂昌孝・瀬戸岡為一郎
4区で山田東次
5区で中島信行
6区で山口左七郎
この当時、神奈川県は現在の県域とは少々異なっていました。都下三多摩地区が神奈川県に属していました。

第1回衆議院議員総選挙でみごと当選した日本初の衆議院議員について
明治24年に発刊された「明治新立志編」に当選直後の中島信行以下当選者の評伝が書かれています。

★この「明治新立志編」で中島信行が 麦酒の酒税増税反対を主張した件について詳しく説明しています。ビールの事業化を日本で初めて成功した<横浜>が地盤? だったからでしょうか?機会があれば調べてみたいところです。

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※中島信行夫婦の墓(神奈川県中郡大磯町大磯・大運寺)

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