1月31日 朝吹英二
横浜に関係のある一人の人物を紹介します。 1918年(大正7年)の今日、実業家の朝吹英二が71歳の生涯を終えました。 「朝吹 英二(あさぶき えいじ、嘉永2年2月18日(1849年3月12日)〜大正7年(1918年)1… 続きを読む »
横浜に関係のある一人の人物を紹介します。 1918年(大正7年)の今日、実業家の朝吹英二が71歳の生涯を終えました。 「朝吹 英二(あさぶき えいじ、嘉永2年2月18日(1849年3月12日)〜大正7年(1918年)1… 続きを読む »
1891年(明治24年)の今日 「日本最初の石鹸製造者の堤磯右衛門(59)が没した。彼は明治初年横須賀造船所請負人代理で現場監督中当時輸入品だけであつた石鹸に注目し、フランス人写真技師ボイルからその基本的製法を学び研究の… 続きを読む »
(素案レベルです。今後加筆修正される予定です) 1901年(明治34年)と1904年(明治37年)1月25日に 市議会議長に渡辺福三郎が選出されたと「横浜市会の百年」の年表に記載されていました。 (渡辺福三郎の議長任期は… 続きを読む »
「一寒村に過ぎなかった横浜が〜」 枕ことばとして使われる横浜開港のフレーズです。 小さな村でしたがそれを<寒村>という枕詞で形容するのは止めよう派です。 <小さな村>たしかにその通りですが、横浜村が小寒村であれば、日本の… 続きを読む »
1903年(明治36年)2月23日 「保土ケ谷の歌人荒波孫四郎(66)が没した(横浜歴史年表)」という記事に出会いました。荒波孫四郎という人物、初めて聞く名前でした。いかなる人物なのだろう? 歌人とあるので、文学で作品を… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 1931年(昭和6年)5月・6月 五月 29日 ’Sturdy’号にて Edward Miles Lone sai… 続きを読む »
1891年(明治24年)6月5日 「有限責任横浜船渠会社が設立認可」と資料から発見!日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』や 『石川島重工業株式会社108年史』他に表記されていました。 横浜船渠(よこはませんきょ)と読みます… 続きを読む »
時折断片的な史実がつながり始めることがあります。 点が線に線がある形になっていく時に背中がゾクゾクッとします。 これまで900話位の史実をさがす横浜ブログを書いていますが、ゾクゾクッとすることは中々ありません。 今日のネ… 続きを読む »
今日はどちらかというと苦手なジャンルからの紹介なので手探り文になっています。 1931年(昭和6年)4月25日 「浦島町に関東学院セツッルメントが開館した(横浜歴史年表)」 「関東学院セットルメント献堂式(横浜近代史総合… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 1931年(昭和6年)5月 東横電鐵直営 日吉台苺園開園中(二十五日前後が最盛) 二十一日 『郵船』龍田丸入港出航(午後三時四号岸壁発 桑… 続きを読む »