No.93 4月2日 蚕糸貿易の歴史を見つめてきた倉庫
現在、北仲地区にある歴史的建造物「北仲ブリック」は、かつて「帝蚕(ていさん)倉庫」という戦前の日本を支えた蚕糸産業の拠点でした。 1926年(大正15年)の今日は「帝国蚕糸倉庫株式会社」の創立総会が開催された日です。 こ…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
現在、北仲地区にある歴史的建造物「北仲ブリック」は、かつて「帝蚕(ていさん)倉庫」という戦前の日本を支えた蚕糸産業の拠点でした。 1926年(大正15年)の今日は「帝国蚕糸倉庫株式会社」の創立総会が開催された日です。 こ…
東神奈川から八王子まで走るJR横浜線(全長42.6km)は鉄道の中でも超黒字路線の一つです。ところが横浜線はかなり長い間赤字路線でした。この横浜線、神奈川を南北にシルクロードを走り抜ける産業鉄道として1904年(明治37…
2月18日の「過去に学ばないものは過ちを繰り返す」でも紹介しましたが、明治政府は外国に対し通貨主権を回復するために様々な手だてを試みます。 1880年(明治13年) 1月に安田銀行(富士銀→みずほ銀)、 2月のこの日横浜…
アメリカは<米>、イギリスは<英>、ドイツは<独>と漢字で書き表します。 では、 「諾」とはどこの国を表しますか? 戦前の豪華客船繋がりで、戦後の記録から一隻の豪華客船を発見しました。 1961年(昭和36年)のこの日、…
参考資料の一つ「横浜近代史総合年表」の中から、1921年(大正9年)のこの日、「鶴屋」が焼失した記事を発見しました。 明治大正期、 大都市に成長した横浜の発展は災害との戦いでもありました。 横浜最大の繁華街「伊勢佐木」の…
またまた嘉右衛門エピソードです。(20130127一部加筆) 1月27日は高島嘉右衛門の瓦斯会社をめぐる国際競争の話しをしました。 今日は彼が学校を作った話しです。 明治時代は全国に学校が多く生まれた時代です。 1871…
電信が東京横浜間に開通した翌日1871年(明治3年12月17日)の今日、 神奈川県から横浜市内でガス灯事業を展開する事業免許が「日本社中」に下りました。 ところが、この免許申請にいち早く手を挙げ決まりかけていたドイツ商社…
2011年、仕事の合間に「横浜とお茶」をテーマに調べている時、大谷嘉兵衛という人物に出会いました。日本のお茶産業の振興に情熱を捧げた彼は、横浜村の鎮守のために「伊勢山皇大神宮」を野毛山に遷座し初代氏子総代の一人となります…
岸田 吟香(きしだ ぎんこう)という人物を知っていますか? 開港、そして「はじめて物語」では欠かせない横浜ゆかりの人物です。 1880年(明治13年)のこの日、 岸田 吟香は日中間の薬事業拡大のため横浜港から東京丸で中国…
安政6年正月13日 己未 甲申 先勝(1859年2月15日)のこの日、幕府開港決定にともない地域限定の自由貿易により出稼ぎの奨励がある。 「同月、神奈川(2月に横浜に変更)・長崎・箱館三港、近々開港、出稼ぎ・移住者の勝手…