【開港の風景】野っ原編3
横浜村を更地にして、日本人街を造成、外国人を受け入れるまでの姿、区史、市史、明治期の開港モノなどを目下整理中で苦闘しています。なので、ちょっと時間をワープします。日本人として開港直後の様子を表した文献で代表的なものは「福…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
横浜村を更地にして、日本人街を造成、外国人を受け入れるまでの姿、区史、市史、明治期の開港モノなどを目下整理中で苦闘しています。なので、ちょっと時間をワープします。日本人として開港直後の様子を表した文献で代表的なものは「福…
前回ようやく開港の舞台となった横浜村の一角の話に入るところまで来ました。開港直前の横浜村から開港場が作られていく<様>をいろいろな資料から描いていこうと考え、進めてきました。ところがどっこい、さらっとサマライズできなくな…
このシリーズを書いてみようと思った出発点は開港のために造成した野っ原あたりのことを知りたいと思ったことに始まります。 幕府がペリーとの交渉で「神奈川開港」を約束してから実際には横浜を提案しアメリカを筆頭に各国の外交官と居…
本編となる開港ドタバタ風景までもう少々お付き合いください。 <である>調より<ですます>が良い!というメッセージいただきました。読み返してみるとちょっと硬く感じるので 文体変えます!■野毛の自立現在大岡川河口近くにある野…
小説を書く人はすごいと改めて思う。資料から人の心情や行動を描きだす。読みながら情景が浮かぶように工夫しようと思っている矢先から説明的になっている。一枚の地図にしてしまえば簡単だ!と思い始めてしまう。そういえば、三十年以上…
■海の風景東海道を江戸から下る道中、旅人は鶴見橋を渡り生麦を過ぎるあたりで海に出会います。品川沖とはこれまた趣が異なる子安濱の海岸沿いを進むと、その先に小高い「神奈川宿」の坂道が見えてきます。目前には名所「権現山」が立ち…
突然の出来事だったに違いありません。先祖代々横浜村に暮らしていた人々は、「突然移住せよ!」と代官からの申し渡しがあり、おそらく村衆が集まり石川村の外れに居を移すことを承諾したのでしょう。そこでどのような話し合いがもたれた…
「海水浴とマジシャン」と題して俳人秋元不死男作品から横浜のある風景を読み解いていきます。前回では、不動坂付近で行われていた四の日縁日の風景が描かれている句を紹介しました。大正初期の亀の橋付近の風景です。今回は、1938年…
秋元不死男、彼の名を知る人は限られていると思います。戦前から戦後にかけて活躍していた俳人です。人生の大半を横浜で過ごし、横浜の情景を詠んだ句も多く残されています。彼に関しては、以前簡単なブログを書いています。No.35 …