【今日の横浜2015】1月22日

Facebookブログ アーカイブ用に転載します。画像等は追々追加します。

1987年(昭和62年)の今日
財団法人「横浜博覧会協会」が発足し第1回理事会が開催されました。
開催後については下記のブログで紹介しています。
No.84 3月24日 実験都市ヨコハマの春祭り開催

No.84 3月24日 実験都市ヨコハマの春祭り開催

No.431 「みなとみらい」地鎮祭開催

No.431 「みなとみらい」地鎮祭開催

ここでは少し「横浜博覧会YES89」前史を紹介しておきましょう。
開催の契機
横浜で博覧会開催の構想が生まれる契機となったのが1981年(昭和56年)に当時の細郷道一市長が掲げた「よこはま21世紀プラン」でした。
「市制 100周年を記念する国際的な行事等について検討する」と具体的に目標が掲げられたことがスタートラインとなります。
1983年(昭和58年)11月8日「みなとみらい21」起工式
調査・検討が重ねられた結果
1984年(昭和59年)市長は
「昭和64年の市政100周年記念事業は、国際文化都市横浜のイメージアップ、文化的な都市環境づくりとなるものを行う。構想づくりに際しては民間組織や有識者を含めた検討組織を設けて、大いに民間の知恵を活用していく」と市会で大枠を示します。今でこそ<民間の知恵を活用>するのは常識“常態化”していますが、これまでとは一歩踏み込んだフレームといえるでしょう。
1985年(昭和60年)
「横浜市制100周年記念事業基本構想検討委員会」 設置
「横浜・丘と海の祭り」100人委員会 設置(会長 牧野昇<三菱総合研究所会長>)
11月20日実行計画案提出
「みなとみらい21地区で世界的スケールのビッグイベントを〜市民参加型の新しい博覧会を開催」と提案します。
1986年(昭和61年)
提案を具体化するために市長を会長とする
「横浜・丘と海の祭り協会」が設立され開催準備が具体化されるようになりました。
そして
1987年(昭和62年)
「横浜・丘と海の祭り協会」を財団法人化し財団法人「横浜博覧会協会」が発足します。
会長には経団連生え抜きの花村仁八郎副会長が、副会長には高木文雄株式会社横浜みなとみらい21社長が選出されました。
略称をYES’89とすることや、会期、テーマ「宇宙と子供たち」などを決定し、首都圏に残された<空間=みなとみらい21>を使った壮大な博覧会計画が始まります。

※この時、実質横浜博覧会を仕切った高木文雄は、傍系から大蔵省事務次官(1974年6月26日〜1975年7月8日)となった異色官僚で、その後1976年(昭和51年)3月に第8代総裁に就任し国鉄再建に辣腕を振るいます。
彼もエピソードの多い 90年代の横浜を語る上で欠かせない人物です。

(1月22日関連ブログ)
No.22 1月22日 大谷嘉兵衛を追って(加筆)

No.22 1月22日 大谷嘉兵衛を追って(加筆)