閉じる

No.406 今無い風景に思いを寄せて

人間の記憶というのは不思議なもので
ある日突然空き地になった場所に立ち
以前ここに何があったのか
思い出せないことが往々にしてあります。

ここはどこ?

今日は、何気なく撮った写真から
今無い風景を何点か紹介しましょう。
【1】汽車道からパナソニック

この風景も記憶のある人が少なくなっていく部類に入ります。
良く写真をご覧下さい。
パナソニックの「皿メディア」の乗っかっている建物の壁に一幅の絵が描かれているように見えませんか?
これは、壁に伸びた蔦が“絵”のように見えているので、季節によっても色合いや絵柄が微妙に変わっていくために壁絵らしく感じたのかもしれません。
この場所は倉庫として使用されていましたが、再開発が決定し取り壊され、駐車場になってしまいました。現在再開発が始まり新しい街の表情が誕生することでしょう。
※このパナソニックの広告を掲出した担当の方、敬意を表します。
広告効果、このエリア一番ではなかったでしょうか。

汽車道
1911年に開通し1987年に廃止されるまで東海道貨物支線(横浜臨港線)として使用されていました。
東横浜駅〜横浜港駅間約500mを1998年に遊歩道(開港の道)の一部として整備し「汽車道」と命名しました。
桜木町から三基のトラス橋を経て新港地区を結んでいます。当時使用されていた線路も歩道の一部としてそのまま活かされています。
この三基のトラス橋港(1号橋梁〜港3号橋梁の3橋梁)は、横浜市認定歴史的建造物に認定されています。
No.205 7月23日 (月)駅を降りたら、国際港

No.62 3月2日 みらいと歴史をつなぐ道
【2】伊勢佐木界隈

ヨコハマを代表する繁華街の一つ伊勢佐木町通り。
明治後期には、東京の浅草・大阪の千日前と並ぶ盛り場として繁盛していた地区です。
その後、
関東大震災、横浜空襲も乗り越え、横浜の商業中心地が横浜駅界隈に移る中でも努力を重ね賑わってきました。
残念ながら開港と共に歩んできた伊勢佐木もこの10年を捉えても大きく様変わりしています。

近年一番の変化は「松坂屋」(旧野澤屋)の閉店でしょう。
ここは「ゆず」のデビュー空間として有名になりました。

現在は建物も新しくなり「カトレアブラザ」となっています。
その他、時代の趨勢でしょうか、なじみの店が消えていくのは寂しいものです。

思い起こせば、この30年時々しか利用できませんでしたが
伊勢佐木のお店も かなり変わりました。残って欲しい店、まだまだあります。
頑張って イセザキ。

No.137 5月16日 全店サマークリアランスセール開催中
1月30日 MATSUYA GINZAのDNA
【3】旧ヘルムハウス跡地の遺構

以下をもって説明とさせていただきます。

ある日!気がついた時には、消えていました。
No11 1月11日(水) KAAT開場

【4】その他の風景
JR関内駅近くに関外エリアを縦断する「大通公園」があります。
かつては 沼地を吉田勘兵衛という方が生涯をかけて埋め立てた土地の真ん中に残した「水路」でした。この水路を埋立て、その下を市営地下鉄が走っています。
その関内側(市役所側)に建っていたモニュメント?ですが数年前に撤去されました。

No.321 11月16日(金)吉田くんちの勘兵衛さん

No.214  8月1日 (水)開港場を支えた派川(はせん)工事
今まさに 再開発中。

No.367 1月1日(火)この駅「日ノ出町駅」

日ノ出町駅前が大きく変わりつつあります。
http://www6.ocn.ne.jp/~hinode-a/

みなとみらいの四半世紀は、別立てで追いかけることにします。
(他に)
紅葉坂の石畳!
野毛のミモザの怨念!
も材料が整えば 紹介したいところです。
今日は ここまで。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください