暦で語る今日の横浜【9月11日】

横浜の年表から 今日起った出来事をピックアップしました。

●1886年(明治19年)の今日
フランス西波止場でヨットレース開催。
No.226 8月13日(月)西波止場の2勝1敗

ここでも紹介していますが、グランドホテル前にあった横浜西波止場は水泳競技が行われるなど、スポーツが盛んだったようです。
スポーツ大好き国民No.ONEといえば 仏蘭西人ですね!
オリンピックのIOC サッカーFIFA アメリカズカップも(ルイビトンカップ)ですし、
ルマン、ツールドフランス、そういえばF1も仏蘭西です。
※IOC、本部はスイス・ローザンヌですがクーベルタン男爵が創立した団体です。
 公式言語は“フランス語”です。
※FIFA国際サッカー連盟も本部はスイスのチューリッヒに
 初代会長は、ロベール・ゲラン(フランス)です。
暦で語る今日の横浜【9月9日】

●1893年(明治26年)の今日
「中島湘烟、信行とイタリアから帰国し、横浜西太田の山荘に安着する。」
俊才 “自由民権運動”に目覚めた岸田俊子は同志 中嶋信行と結婚
名を中島湘烟と名乗ります。中島信行は神奈川県令を務め、第一回の衆議院選挙で神奈川4区で当選した人物で 自由な時代でした。
イタリア公使だった信行とともに現地で結核を発病します。
9月11日に日本に帰国し治療に専念ししますが、
1899年(明治32年)3月26日
 信行が肺結核のため53歳で亡くなり、
1901年(明治34年)5月25日
 追うように中島湘烟、肺結核のため28歳で逝去します。
No.153 6月1日(金) 天才と秀才

●1923年(大正12年)の今日 震災復興の動きは?
※震災後最初の市会が仮市庁舎屋上で、震災復旧善後策に関する緊急市会開催。
※復興事業を市長の自由裁量とすること及び国の復興援助要望の意見が出る
※市、人心の安定を目的として『横浜市日報』発刊。11月下旬迄発刊
No.245 9月1日(土)災害は忘れなくとも起きる

※原富太郎・小野哲郎・井上準之助が上京、関係大臣に貿易復興の援助を懇望した
※長野県出身の小説家、
 浅原六朗(28歳)横浜にトラックで訪れ、震災の跡を見る。
 浅原はモダニズム文学の作家として活躍

●1928年(昭和3年)の今日
ニューヨーク・ナショナル生糸精算取引所が開業した。
かくて生糸精算所はこれまで横浜のみであったのが
神戸・ニューヨークと3ヶ所になった。
実は このことは 横浜が独占していた生糸取引の終焉を示すもので
震災後、神戸に取引が移り、最大の取引先である米国側も
イニシアチブを握る 重大な出来事です。

●1965年(昭和40年)の今日
「市会第六(水道・交通)委員会の意見具申により市会議長から市長に「本市交通事業の財政再建について」意見書提出(市電の廃止、地下鉄建設促進等)」
議会の立場では致し方ないことかもしれませんが
市電の廃止、地下鉄建設促進等に関する意見書が提出されました。

●1978年(昭和53年)の今日
「ヨコハマさわやか運動」の市本部設立総会が開かれました。
No.147 5月26日 明るく豊かな国民生活の形成に寄与

●1910年(明治43年)の今日
「富貴楼」のお倉こと 「斎藤 たけ」
 横浜で73歳の生涯を終えました。

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