【横浜の橋】№1 絵になった跨線橋
道路をまたぐ橋を「跨道橋(こどうきょう)」、線路を跨ぐ橋を「跨線橋(こせんきょう)」、駅舎やホーム同士を連絡するために架けられるものを「跨線人道橋(こせんじんどうきょう)」と呼ぶ。この中で「跨線橋」が描かれている有名な絵…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
陸橋も含む
道路をまたぐ橋を「跨道橋(こどうきょう)」、線路を跨ぐ橋を「跨線橋(こせんきょう)」、駅舎やホーム同士を連絡するために架けられるものを「跨線人道橋(こせんじんどうきょう)」と呼ぶ。この中で「跨線橋」が描かれている有名な絵…
新年明けましておめでとうございます。 今年2016年は年間を通して幾つかのテーマに絞っていきます。 その一つが『橋』です。橋は川や谷、鉄道や海といった人が通れない場所を<繋ぐ>役割を持っています。橋をめぐる物語は深い味わ…
「関内」という住所は無く開港時の居留地一帯を<関内(かんない)>と呼んでいます。 外国人居留地が治外法権であると同時に、外部と隔絶したエリアであったため、そこに関所を設け関所の内側と外側を表す地域名称として「関内」という…
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。1931年(昭和6年)5月 九日 横濱高工對日大野球戦(午後二時半横浜公園球場にて) 九日 春季體育大会(電車及バス市役所前下車) =午后六…
ここにある一枚の絵葉書には、弁天橋に大きなモニュメント(ゲート)が建てられ、日米の国旗が飾られています。上にはWELCOM 下には 「BANKERS & MERCHANTS YOKOHAMA」という看板が掛かって…
地名からその土地の歴史を読み解くことができますが、バス停の名からもその土地の様子がうかがえることがあります。その時々の土地の記憶が「バス停」に残されたケースを追いかけてみましょう。 まずは市内には失われた(暗渠化した)川…
1990年代、戸部駅近辺に事務所があって良く買った総菜店があります。 当時は写真なんて考えていなかったので記録はありませんが、魚のフライがめちゃくちゃ美味しいお店でした。 コンビニでライスだけ購入して総菜はここで揃えるラ…
「橋」の定義はなんだろう? 「人や物が、谷、川、海、窪地や道路、線路などの交通路上の交差物を乗り越えるための構造物である」 「河川・渓谷・運河などの上に架け渡し、道路・鉄道などを通す構築物。橋。」 「土木工学ハンドブック…
戦前の絵葉書の役割は現在の絵葉書とは少し異なります。<観光>に加えて<ニュース性>のある絵葉書が多く発行されています。 今回は一枚の読み解きにくい<風景>を探索します。 「Yokohamashi Zenkei 横浜市全景…
オークションで絵葉書を探している時、目に留まる一枚に出会うことがあります。この一枚に関しては、まず萬国橋に関心が行き、どうしようかなと迷う程度のレベルでした。 戦前の「萬国橋」が写っていますが、もう少し大きく「萬国橋」が…