No.355 12月20日(木)瞑想・ザンギリ・赤い靴
1911年(明治44年)12月20日の今日、 日本民藝運動を起こした思想家、柳宗悦(22才)が横浜税関に行き、 ロダンがフランスから白樺同人達に贈った彫刻三点を受け取に行きますが、 受け取れず仕方なく自宅に戻ります。 横… 続きを読む »
1911年(明治44年)12月20日の今日、 日本民藝運動を起こした思想家、柳宗悦(22才)が横浜税関に行き、 ロダンがフランスから白樺同人達に贈った彫刻三点を受け取に行きますが、 受け取れず仕方なく自宅に戻ります。 横… 続きを読む »
今年も残すところ20日になりました。 1日1話、今日という日から“横浜”をモザイクのように紡いできました。 最初は断片的でしたが、この作業を通じてステンドグラスの模様のように新しい“横濱”が像を結び始めました。350話近… 続きを読む »
ジャーナリズムの力は“今”を追いかけるだけではありません。 過去を紡いで歴史に真実の光をあてることも大切な仕事です。 今日は1942年(昭和17年)11月30日午後1時46分41秒に起った 爆発“事件”を追いかけたジャー… 続きを読む »
開港場「横浜」生みの親は誰でしょう? 私は“吉田勘兵衛”さんだと考えます。 彼の名が現在市内の一部に残っています。 その代表が「吉田橋」と「吉田町(商店街)」です。 1946年(昭和21年)11月16日(土)この吉田町商… 続きを読む »
司馬遼太郎が『坂の上の雲』でほとんど取り上げなかった人物に 秋山 好古の大親友がいます。 その名は加藤恒忠(拓川)、直接横浜には関係ありませんが、 今日はちょっと脱線します。 1883年(明治16年)11月9日の今日、2… 続きを読む »
明治維新は時代の転換点でした。 この先、どの路を歩むのか、 維新を起こした若者達にも皆目検討がつきませんでした。 ただ全ての路の先に立ちはだかっていた“坂”を 一所懸命登ろうとしていたことは間違いありません。 1878年… 続きを読む »
ここでも何回か紹介しましたが、 咸臨丸についてその実像が意外と知られていません。かくいう私もほとんど知りませんでした。 咸臨丸の波濤の生涯に出会うキッカケはバーでした。 北海道、夕張に出かけた帰り、札幌のバーに立ち寄った… 続きを読む »
元米国18代大統領ユリシーズ・グラント一行は、 1879年(明治12年)9月3日(水)の今日、 横浜港からPacific Mail Steamship Companyの蒸気船「City of Tokyo」号に乗り母国に向… 続きを読む »
横浜が開港の正式調印が安政6年6月2日(1859年)行われ、 外国人居留地が誕生した直後、事件は起りました。 7月27日(1859年8月25日)横浜居留地の波止場近くで“初めて”外国人が日本人に襲撃され、二人が死亡したの… 続きを読む »
むかし、初めて小説を書いてみようと思ったテーマの冒頭部分が 「Hi Come on SAN」「いいえ、私は嘉右衛門(かえもん)でございます」なんてジョークから始めよう思った井伊掃部頭銅像の像がある掃部山(かもんやま)の話… 続きを読む »