No.115 4月24日 忘れ得ぬ事故の記憶
誰が悪いのか?ではなく何が悪いのか? 俯瞰することを忘れまい。 事態を限定的にすることで解決した気分になるまい。 人災は当事者の責任以上に多くの責任を含んでいる。 1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、国鉄戦…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
誰が悪いのか?ではなく何が悪いのか? 俯瞰することを忘れまい。 事態を限定的にすることで解決した気分になるまい。 人災は当事者の責任以上に多くの責任を含んでいる。 1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、国鉄戦…
1958年(昭和33年)4月14日の今日、 1600時、次の寄港地ホノルルに向かうために横浜港を出発したキュナード・ライン社の客船「カロリナ号」は、折からの強風と湾内を航行する米軍艦とのニアミスを避けるため旋回したことで…
関東大震災は1923年(大正12年)9月、神奈川を震源とするマグニチュード7.9の大地震でした。 東京は火災による甚大な被害が発生しましたが、神奈川は全潰63,577棟にも及ぶ住宅被害が生じました。 横浜市内の被害も大き…
昔から、横浜も いろいろ記念日を探し出してはお祭りをしていたようです。 特に戦後の初期は横浜復興のために、様々なお祝い事が開催されました。 日米和親条約(神奈川条約)調印百周年にあたる記念式典「開国百年祭記念式典」が19…
ブリュターニュ生まれのフランス人青年が、 滞在地日本の横浜弁天通にある骨董品店の看板娘に恋をします。 娘の名は「三谷はな(おはなさん)」16歳でした。 彼の名はマルセル、居留地警護のために本国から来た軍人のため、いずれ別…
3月も終わりです。91話目です。 鉄道の開通は地域の活力を一気に高めますが、紛争の種にもなります。 新線開通でにわかに活気づく村に大騒動が起りました。 この小さな村に当初関心の無かった横浜市と川崎市の両市が 神奈川県橘樹…
1906年(明治39年)の今日3月25日(日曜日) 日本の運命を変えた一人のマーチャントバンカーが家族とともに約二十日間の船旅を終え午後4時頃横浜港に入りました。 彼の日記によれば、午前11時に陸地が見えたとあります。 …
1989年(平成元年)の今日、横浜市政100周年(横浜開港130年)記念事業の中核となる横浜博覧会開会式が行われました。 この横浜博覧会はみなとみらい21地区の69haを使用して開催され、のべ1,333万人が入場しました…
(2015年3月14日一部更新) 新幹線は戦後日本のビジネススタイルを大きく変えました。 東京ー大阪間を何分で繋ぐか? どこの駅に停車するか? この二つの課題は、新幹線創業以来現在まで変わらぬテーマです。 1964年(昭…
あのペリー提督が、予定よりも早く再来港し開港を求めたとき、交渉場所が中々決まりませんでした。 ようやく、幕府は「横浜村」に決めます。ここがまさか<1859年の開港場>になるとは予想もしていませんでした。 交渉は約一ヶ月に…