横浜の出来事を年表からピックアップしました。
※10月10日は銭湯の日です。
横浜にもまだまだ頑張っている!人気の!銭湯が多くあります。
横浜で最も有名な?銭湯愛好家の集まりが
「横浜銭湯めぐりの会」
http://www005.upp.so-net.ne.jp/sento-meguri/sento.htm
横浜市浴場協同組合
http://www.1126.jp/home.htm
個人的には、1990年代に24軒銭湯はしごしたのがピークで、2000年代には数軒しか利用していませんが、中々良いもんです。
●1877年(明治10年)の今日
「西南の役が平定したので総督有栖川宮・参軍海軍大将河村純義・参軍海軍少将伊藤祐麿が軍艦「丁卯」「春日」「清輝」の3隻にのり東海鎮守府へ凱旋した」
東海鎮守府はまず1876年(明治9年)横浜に仮設され1884年(明治17年)には横須賀に移転しました。
暦で語る今日の横浜【9月28日】
でも紹介しましたが、横浜市内の西南の役に関係する石碑に時々出会います。
日本の最大級にして最後の“内乱”です。
まだまだ不明確なところも多く資料発見が期待されます。
●1894年(明治27年)の今日
川上音二郎(30歳)横浜の港座で、21日まで「日清戦争」を興行する。以来しばしば港座で興行する。
→港座は湊座のことでしょう。
煙を出す建物の隣が湊座(港座)で、横浜公園に隣接していたようです。 |
No.415 横濱的音楽世界
●1896年(明治29)の今日
「実業家若尾幾造(68)が没した彼は山梨の人で1859年横浜にうつり生糸売込業をいとなんだ。世人から水晶大尽とも呼ばれた」
横浜には開港と同時に、近郊から商人がビジネスチャンスを求めて集まってきます。江戸商人は幕府の関係があったためか堅実さを求める人が多かったようですが、他県からの商人達はかなり手荒い商売をした人たちも多かったようです。
山梨県出身の「甲州商人」、群馬県出身の「上州商人」は絹・生糸関係で多く横浜を目指しました。
No.465 三島と横浜、その縁を探る
●1923年(大正12年)の今日
「馬車道〜日本橋間復旧開通」横浜市営交通八十年史
え?日本橋、と最初驚きましたが、横浜にも「日本橋」の地名と市電の駅がありました。今は名残もありません。
震災前 |
震災後 |
※震災で市電の走る道が変わっているのが判ります。
●1954年(昭和29)の今日
「野毛山で紙芝居屋さんの運動会開催。」
手元に資料はありませんが、調べてみたいテーマですね。
“紙芝居屋さんの運動会”とは 果たしてどんな内容だったのでしょうか?
「戦後の街頭紙芝居は1946年(昭和21年)ごろから人気上昇し、GHQ占領時代に最盛期を迎える。しかしその内容が「低劣、俗悪」であり子どもによくないという世論を受けて、自治体が条例や認定制を設け、また業界が自主規制を行ううちに紙芝居はその自由奔放さと輝きを失っていき、その後は1953年(昭和28年)に放送開始した街頭テレビなどにも押されて衰えていった。」(Wiki)
ということですから、この運動会が行われたのが ピーク時の頃であったようです。“自主規制”の一環として 同業者の親睦を兼ねて運動会が開かれたのではないでしょうか。
●1964年(昭和39)の今日
第18回オリンピック東京大会が開催されましたね。
神奈川県下では
サッカー(三ツ沢蹴球場 他)
ヨット(藤沢 江の島)
バレーボール(横浜文化体育館 他)
カヌー(相模湖)が競技会場として使われました(〜24)。