横浜の出来事を年表からピックアップしました。
【明治のルール作り】
●1874年(明治7年)の今日
「第1大区内の相撲諸見世物興行の場所を、
吉田埋立地翁町4丁目元魚鳥獣青物四品市場吹貫納屋とし、
興行者は埋立人と示談するように指示した。」
(神奈川県史料)
本文とは直接関係ありません |
1875年には福富町他8町を追加します。
→もう一つ 同じ意味合いの記録が同年同日にあります。
「歩道に商品等を張り出したり、並べ置くことがないように注意した。」
(神奈川県史料)
明治に入って、政府は膨大なルール設定を行います。
当初は矛盾も多くあったようですが、
「泥縄式?」で問題が起ると布告等で規制し、
矛盾がでると修正するという状態だったようです。
道路使用や、商業(商売)のルールもこの時期にかなり詳細に規制が行われ、
庶民はずいぶんと 戸惑ったのではないでしょうか。
●1890年(明治23年)10月3日
地方学事通則法律第八十九号公布
→この規則は、地域の学校設立に関してルール化したもので、
一村一小学校制が確立し学区が形成されます。
これによって、地域の子どもたちの“通学路”が生まれます。
地域(町村)運営の学校経営に関するルールも詳細に決められますが、結果経済的負担が増加し義務教育費の国庫負担が強く要望されるようになります。
●1901年(明治34年)の今日
「屋上制限令に対し、戸部・中村・根岸・本牧等 新編入区域住民、屋根を瓦等の不燃物とする「屋上制限令」の施行有余を願い出ます。」
江戸時代、日本の民家の多くが“藁葺き”でした。風情はありますが街中では火事になるとひとたまりもありません。
類焼を減らすために、全国的に「屋上制限令」を出します。
(以下 仙台市が出した屋上制限令)
一、家屋其他建物の屋上は必ず瓦スレート、亜鉛板等不燃質物で葺かなければなりません
一、前項の制限に依らず燃質物で葺いた人があれば警察署から葺換を命ぜられます
一、仮小屋や一時の建物又は土地の状況によりその必要なきものは警察署の□可を受ければ不燃質物で葺かなくとも差支えありません
一、家屋其の他建造物の新築改築又は大修繕をなすときは着手五日前に左の事項を警察署に届出ねばなりません
一、住所氏名、二、建物の位置種別、三、新築改築又は大修繕の別、四、覆葺の材料、五、起工及竣工の期日
一、工事落成したるときは十日以内に警察署に届出で検査を受けねばなりません
一、以上の届出は口頭で差支えありません
一、万一規則に違反し又は警察の命令に従わない人は拘留又は科料の□則に触れます
一、詳い事は規則を御覧なさい
一、仙台市(広瀬川以西除く)及鉄道沿線二十間以内の地域は昨年十二月より向う十年間に必ず全部葺換せなければなりません
【火事】
火事ネタも明治時代は多数ありますが
●1900年(明治33年)の今日
羽衣座 全焼(類焼21戸)
明治時代、日本最大級の劇場銀座だった横浜は
火事による小屋の焼失が多くありました。
中でも「羽衣座」の火事は大きかったようです。
【高島嘉右衛門ネタ】
●1875年(明治8年)の今日
「高島町に新築3層の神風樓開業。」
横浜の遊郭史は、火事と引越の歴史でした。
No3 1月3日(火) 大火事
現在の横浜公園あたりには港崎(みよざき)遊郭
豚屋火事→「慶応の大火」
No.294 10月20日(土)防災道路を造れ!
「神風樓」は政商 高島嘉右衛門が経営していた遊郭です。
No.197 7月15日(日)老舗ホテルを支えた横浜
●1879年(明治12年)の今日
「瓦斯局訴訟問題の和解の宴が尾上町の外務省でひらかれた」
横浜で始まったガス事業は、政商高島嘉右衛門が国際コンペに無理矢理参入し、日本社中として参入します。その後、伊勢山下(現在の本町小学校)にガス工場を作り本格的なガス事業に乗り出しますが、ガス灯の使用料金がスムーズに支払われず経営が悪化します。そこで、ガス会社を売却しようと考えますが
その売却過程で、購入金額が不適切だ!と
横浜町商人(丸善創始者)早矢仕有的らが、訴訟を起こします。
その訴訟が“決着”し、その宴会を開いた!
という 話しです。
→機会があればこの顛末も紹介します。
「尾上町五丁目外務省出張所に於て瓦斯灯訴訟(瓦斯局を町会所に引受たる件に対し、横浜町商人早矢仕有的外、数十名より、横浜区長今西相一・戸長島田豊寛外数名に係る紛議にして、原告代言人高梨哲四郎、被告代人横浜区書記小山茂と横浜裁判所に於て、論弁数月に渉りしが、仲裁ありて和解す)和解親睦の宴を開く、当日来賓には野村県令・河野・磯貝両書記官・横浜裁判所長三好退蔵・税関長本野盛亨・灯台局長原隆義・鉄道局駅長土肥旨一、東京より渋沢栄一、総員二百五十余名、頗る盛会なりし、会場内外球灯数百個、大江橋向ふ及び川筋に於て煙火を打揚げ、非常警戒の為め、橋詰に喞筒組出張せり」
No.27 1月27日 ニッポン、国際コンペに勝つ
(高島嘉右衛門関連ブログ)
No.28 1月28日 高島嘉右衛門と福沢諭吉(加筆)
他多数
(渋沢栄一)
No.374 1月8日(火)○●■△と横浜
【橋ネタ】
●1882年(明治15年)の今日
「都橋」掛替えのために
福富町3丁目 物品卸場に使用中、他の物品揚卸を禁止
【番外編】 1月29日 謎解き都橋
●1915年(大正4年)の今日
朝日橋、斎藤善右衛門らの尽力により完成、架橋式を挙行します。
青木宮州町、と埋立地大野町を結ぶ。
【日本郵船ネタ】
写真は氷川丸 |
●1896年(明治29年)の今日
日本郵船会社、豪州航路を開設し、第1船として「山城丸」が就航しました。
→「山城丸」は共同運輸会社がイギリスのアームストロング・ミッチェル社に発注した客船で、その後日本郵船が所有した商船です。(初代)
1898年(明治31年)まで豪州航路で活躍しました。
二代目は1912年(大正元年)11月9日に竣工し南方航路で活躍しますが
1943年(昭和18年)9月16日横浜を出港し、9月23日魚雷攻撃を受け沈没。
三代目は1963年(昭和38年)11月19日に竣工し欧州航路で活躍しますが
1973年(昭和48年)10月11日にイスラエル海軍とシリア海軍の戦闘(ラタキア沖海戦)で被弾し放棄、スクラップとして売却されました。
●1913年(大正2年)の今日
「日本郵船会社 「香取丸」竣工(10,526t)」(横浜歴史年表)
→10月8日欧州向け航路に就航
※客船データベースと若干データが異なります。
起工:1911年(明治44年)11月3日
進水:1913年(大正2年)3月30日
竣工:1913年(大正2年)9月11日
同型船に「鹿島丸」があります。
【鉄ネタ】
●1911年(明治44年)の今日
「横浜電気会社が江之島電気鉄道会社を吸収合併した」
江之島電気鉄道会社は現在の江ノ電です。
ここには「天下の雨敬」「投機界の魔王」と呼ばれた
「軽便鉄道」の雨宮 敬次郎が関係しています。
No.465 三島と横浜、その縁を探る
No.69 3月9日 事業失敗鐵道、横浜線物語
●1946年(昭和21年)
市会で大口駅開設を求める建議可決。
開設は、翌年の1947年(昭和22年)12月20日です。
→駅前シリーズは現在準備中で、「大口駅」も初期に紹介する予定です。
※駅前の雰囲気が 国鉄ローカル駅情緒を残す市内でも希有の駅です。
【その他】
●1877年(明治10年)の今日
日本長老会、スコットランド長老会、ミッションの3教会は、
海岸教会で合同し 日本基督一致教会を組織します。
邦人初の牧師誕生。小川、奥野、戸田
→日本基督一致教会
http://www.kaiganchurch.or.jp
No.68 3月8日 禁酒の勧めに横浜バンド活躍
●1903年(明治36年)の今日
相生町三丁目の旧「嘉以古」跡に 割烹料理店 八百政 開業。
当時の高級料亭といえば
相生の「八百政」
尾上町の「かね田」
太田町の「日盛楼」
伊勢佐木の「あらゐ」
そして住吉の「千登世」といわれました。
千登世に関しては
No.176 6月24日(日) 関内の粋といやーー、ね。
●1919年(大正8年)の今日
横浜中央食品市場(株)、表高島町に設立資本金100万円
No.97 4月6日 東日本初の中央卸売市場が認可される
●1931年(昭和6年)の今日
「シアトルの日本人学生母国見学団が来訪し市内を視察した」
シアトルは、横浜から多くの移民が渡った港です。
また、日米交流の歴史を持ち「横浜」とも縁の深い街です。
No.39 2月8日 龍田丸をめぐる2つの物語
No.241 8月28日(火)駅を降りたら、国際港 復活
●1931年(昭和6年)
「金輸出再禁止を見越してドル買が盛になり、このため正金銀行はアメリカ向正貨現送に忙殺され多額の正貨が海外に流出した」
※10月〜12月までに38,400万円の金貨が流出します。
10月3日1,500万円
10月8日1,500万円
10月15日1,500万円
10月16日1,500万円
10月19日1,500万円
10月22日1,500万円
10月24日1,500万円
10月26日1,500万円
10月27日1,500万円
10月29日1,500万円
11月2日1,500万円
11月4日1,500万円
11月5日750万円
11月8日1,500万円
11月9日1,700万円
11月10日750万円
11月16日750万円
11月18日1,700万円
11月24日2,250万円
11月25日1,500万円
11月27日750万円
11月30日1,500万円
12月1日1,500万円
12月5日750万円
12月15日3,000万円
12月24日2,000万円
(表組にすれば良いのですが )